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Pickup特集 絵師 長谷川等伯をたずねる

安土桃山時代から江戸時代初期にかけて活躍した能登国出身の絵師、長谷川等伯。近世水墨画の最高傑作、国宝「松林図屏風」(しょうりんずびょうぶ・東京国立博物館)を生み出した巨匠のルーツに迫ります。

等伯の魅力

日本の水墨画を自立させた絵師
「繊細な」描写と、見る人を圧倒させる「大胆な」画法。相反する特徴を併せ持つ等伯の作品は、唯一無二の絶妙なバランスで描かれています。作品に感じられる深みは、彼の波瀾万丈な人生と、それに負けず必死に生きぬいた強い心がにじみ出ているかのようです。作品の多くが重要文化財、一部が国宝に指定されています。同じ時代を生きる狩野永徳や千利休らに刺激を受けながら、独自の画法を進化させ、混乱した戦国の世に生きぬいた等伯の作品は見るものの心を強く揺さぶります。

等伯 ブロンズ像(石川県七尾駅前)

等伯 ブロンズ像(石川県七尾駅前)

代表作と関連作品

等伯の作品に触れる
 80点あまりの作品を残した長谷川等伯ですが、最も知られているのは国宝「松林図屏風」(しょうりんずびょうぶ・東京国立博物館)でしょう。等伯の代表作であり、近世日本水墨画の代表作のひとつでもあります。能登の海浜には現在もこの絵のような松林が広がっており、彼の脳裏に残った故郷の風景と中国から伝わった水墨画の技法が結びついて、このような情感豊かな水墨画が誕生したと想像されています。また、若年期の代表作「十二天図」(じゅうにてんず・正覚院)などの仏画も有名です。等伯生誕の地、能登半島唯一の総合美術館として1995年に開館した石川県七尾美術館では、京都に進出する前に描いた作品を見ることができます。「善女龍王図」(ぜんにょりゅうおうず)、「愛宕権現図」(あたごごんげんず)、「山水図」(さんすいず)、「陳希夷睡図」(ちんきいすいず)が所蔵され、毎年長谷川等伯に関する特別展が開催されます。そして、等伯の作品とその世界を知るために必要不可欠なのが、あまりに有名な安部龍太郎著 直木賞受賞作『等伯』(上下巻)と『絵物語 長谷川等伯』です。戦国の世に翻弄されながらも、ただひとつ絵の道を信じて生きていく等伯の姿が見事に表現されています。

陳希夷睡図

石川県指定有形文化財
「陳希夷睡図」長谷川信春(等伯)筆
石川県七尾美術館蔵

石川県七尾美術館の詳細はこちら ※石川県七尾美術館のサイトに移動します。

生涯と人物像

名作の背景
 長谷川等伯は室町時代の末、能登国七尾に生まれ、20歳代には絵仏師として能登で活躍し、30歳代中頃に正式に京都へ移住したとみられます。その後、力を振るっていた絵師狩野永徳率いる狩野派や様々な画派の絵画を吸収し、独自の表現を試みていったと推測されます。50歳代には長谷川一派を率いて豊臣秀吉からの仕事もこなして活躍しました。しかし、祥雲寺障壁画(現・智積院蔵)の完成間近、良き理解者であったとされる千利休が自刃します。また、完成間近、後継者でもある息子久蔵が26歳という若さで亡くなってしまいます。その悲しみの中で描いたのが、国宝「松林図屏風」と言われています。等伯50歳代は、「松林図屏風」をはじめ「竹林猿猴図屏風」(ちくりんえんこうずびょうぶ・相国寺)や「樹下仙人図屏風」(じゅかせんにんずびょうぶ・壬生寺)など多くの優れた水墨画を制作しました。60歳になっても次々と大作を手掛けていき、本法寺所蔵の「仏涅槃図」(ぶつねはんず・本法寺)は京都三大涅槃図の一つに数えられる名作です。72歳の時に徳川家康から江戸に呼ばれ下向しますが、江戸到着2日後に亡くなったと伝えられます。等伯を失った後の長谷川派は次第に勢力を失っていきますが、京都周辺に限らず全国的に作品が点在していることなどから、幅広く様々な仕事に参加していったものと考えられます。

長谷川等伯 関連書籍
安部 龍太郎 著
第148回直木賞受賞作『等伯』(上下巻)、『絵物語 長谷川等伯』など。
関連書籍の詳細はこちら ※日本経済新聞出版社のサイトに移動します。
e國寶
長谷川等伯の「松林図屏風」や「牧馬図屏風」など、国立博物館の所蔵する国宝や重要文化財を高精細画像で閲覧できます。
e國寶のサイトはこちら ※e國寶のサイトに移動します。

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